ゆみはりの

弓張の月にはずれて見し影の やさしかりしはいつか忘れん

世界から戦争が消えたなら/ミュージカル『スワンキング』東京公演感想

公演概要

www.swanking.jp

【あらすじ】

天才作曲家・ワーグナーと彼の才能に惚れ込んだバイエルン王国の若き国王・ルートヴィヒ二世。
ともに二人が夢見るのは、大作オペラ「ニーベルングの指輪」の上演。
しかし、彼らの行く手にはさまざま困難が立ちふさがる。
友情、愛情、嫉妬、絶縁…。
史上最悪のスキャンダルを乗り越え、果たして彼らの夢は達成されるのか―。

ミュージカル「スワンキング」 | サンライズプロモーション東京

公演日程

  • 東京公演(東京国際フォーラム ホールC):2022年6月8日(水)〜17日(金)
  • 大阪公演(オリックス劇場):2022年7月1日(金)〜3日(日)
  • 愛知公演(刈谷市総合文化センター 大ホール):2022年7月9日(土)・10日(日)
  • 福岡公演(キャナルシティ劇場):2022年7月17日(日)・18日(祝・月)

キャスト・スタッフ

公演感想

※ネタバレを含む内容になります。ご注意ください。

繰り返す旋律に

ルートヴィヒ2世の死から始まるストーリー。互いを思いあいながらも再び繋がれることはない、ルートヴィヒ2世エリザベートの手。
「彼は、精神を病んでなんかなかった。ただ……夢を見ていただけ」。悲痛な呟きを、本当に聴かせたい相手はもうこの世にはいない。
わたしたち観客は滅びの時が来ることを知りながら、彼らの軌跡を追体験してゆくこととなるのです。

劇中では同じメロディが繰り返し、異なる歌詞・アレンジに乗せて奏でられていきました。「リプライズ」と呼ばれる手法だそうです。
この繰り返しによって、メロディは徐々に心に入り込みます。悲しみと、喜びと、怒りと、呆れと。さまざまな感情が、反復のたびに増幅されていくのです。
冒頭の「夢の王国へ」のメロディは言わずもがな、三官僚がコミカルに歌い上げていた「大いなる誤算」のメロディが、深い悔いの表現として繰り返されたのが印象的でした。

気高い白鳥の王

ルートヴィヒ2世は、父・マクシミリアン2世の急逝により18歳の若さでバイエルン国王となりました。学者肌だった父よりも、芸術を愛した祖父・ルートヴィヒ1世に似た気性の青年だったそうです。
祖父と同じ日に生まれ、その名前を受け継いだルートヴィヒ2世は12歳の時にリヒャルト・ワーグナーの著作に出会い、憧れを募らせます。

そして、15歳でついに『ローエングリン』を観劇しました。感動に打ち震えた彼は、さらにワーグナーの歌劇に情熱を傾けてゆくのです。
やがて国王に即位したのを機に、ワーグナーを探し出してミュンヘンに招聘することに。
わたしたちオタクも「石油王になったら推しにああしたい、こうしたい」という妄想を時折抱くと思いますが、ルートヴィヒ2世はそれを実現させてしまったのです。

このあたりは『スワンキング』キャストの大音智海さん作成の動画でも解説されています。「国家予算全部溶かして推し活してみた」はわかりやすい表現ですね。
これ知ってれば100倍楽しめる!『スワンキング』予習動画① #41 - YouTube
これ知ってれば100倍楽しめる!『スワンキング』予習動画② #42 - YouTube

ルートヴィヒ2世を演じる橋本良亮さんは、今回の舞台のために約12kgの減量に挑まれたそうです。確かに、ポスタービジュアルよりも全体的にほっそりとされて、頬も痩けて。気難しくも高潔な若き王により近づいたように感じました。眉を顰めた不機嫌な表情が美しく見えるって、凄いですよね。

歌唱パートについての第一印象は、正直なところそこまで良いものではありませんでした。周囲のキャストとの発声の違いは如何ともし難いな、と。
しかしながら、観るたびにクオリティが上がっていき、東京前楽では最初の一声からはっとするような伸びと広がりを感じました。
初日から前楽までの8日間、休演日なしに連続12公演というなかなかにハードなスケジュールの中、疲れを見せることなくさらに成長していく伸びしろの大きさ。
そして、カーテンコールの合間に見せる笑顔の愛らしさに、好感を持ちました。別所さんとの信頼関係が垣間見えるのも良かったです。

気づけばいつしか、この王の夢が叶えば良いのに、と祈るような思いで見守るように。
特に、幻想の中のシシィと歌い合うシーンはせつなくて。孤独な鷲とかもめとが羽を寄せ合い、凍えた体を温め合うような姿は胸に迫るものがありました。

瞬く星の皇妃

エリザベート役の夢咲ねねさんの美しさは、夜闇で輝く星のよう。スポットライトが当たっていなくても、彼女が立っているだけでなぜかほんのり明るく感じたのです。
黒いドレスの凛とした気品も、白いドレスの儚げな優しさも、どちらも素敵でした。
そりゃあ妹のソフィも心中穏やかじゃなくなっちゃいますよね、という説得力。

姉として友として、ルートヴィヒ2世を時には導き、時には諌める唯一無二の存在。
けれど、オーストリア国王の妃という立場ゆえに、自由は制限されています。
ワーグナーとの諍いに疲れ、さらには近づく戦争の気配を避けるように湖畔の島に閉じこもるルートヴィヒ2世。そんな彼を、エリザベートだけでは思うように救えなかっただろうことが歯がゆく感じました。誰かもっと近くに、心を許せる存在がいたらよかったのに、と。
王としての孤独感は、近い立場の者しか理解しづらいのでしょうね……。

才能という名の呪い

最初の妻・ミンナにさえ「あなたは施しで生きている」と言わしめたリヒャルト・ワーグナー
贅沢好きで女好き、どうしようもなく最低な人間なのに、溢れる才能が周りを狂わせていくのがまた、業が深い!

そして、そんなどうしようもなさの中にどこかかわいらしさを感じさせる別所哲也さんは凄いな、と思いました。渋々ながら演奏旅行に出向き、苦虫を噛み潰したような顔で踊るの、お茶目じゃないですか?
そんなかわいいおじさん(失礼)が君なしじゃいられないとか、俺はもうダメだとか、そんな風に泣き言を言うものだから、周囲がなんとかしてあげないと!って思っちゃうのですよ。根っからのヒモ気質。

ルートヴィヒ2世との短い蜜月の中でも、湯水のようにお金を使い、贅沢三昧。クジャクを庭に放すって、成金趣味が過ぎる。
偉大な音楽を作り出すために周囲は、自分が求めるすべてを捧げる必要がある、なんてなかなか言えませんよね。

ルートヴィヒ2世もだんだん「あれ?もしかして、うちの推しって……クズ?」って気づき始めるのですが。それでも「でも、推しの作る音楽って最高だし!担降りとか無理だし!」って葛藤しちゃう。
このオタク心理、理解できすぎて辛いです。
距離が近づいたことで見えてしまう粗は、闇堕ちへの片道切符。彼の人格を推してるわけじゃない。わかっていても、そこは推し活のモチベとは完全には切り離せない……沼が深すぎる。

生きていく強さを

そんなワーグナーが手を出してしまったのが、友人・リストの娘コージマ。既婚者です。
もうクズすぎません!?

そりゃ、ミンナに才能を理解されず、あれだけこき下ろされたら嫌になるかもしれないけど、そんな時に崇めてくれた他の女性にふらっと行っちゃうなんてあまりにイージー
ミンナが怒っていたのも、ただでさえパトロンの世話になりながらの借金生活が嫌だったのに、あろうことかその妻に手を出したからなんだから当然といえば当然。ストレスで心臓を患うのも致し方ない。

徐々に深い結びつきになるワーグナーとコージマですが、わたしはいまいち応援する気になれないんですよね。
特に、戦争の爪痕にルートヴィヒ2世たちが苦しんでる横で「バイロイトに劇場を作ります!」って歌い出すコージマに、ムッとなっちゃうんですよ。あまりにも天真爛漫すぎて。

ただ、夢を諦めかけている男たちをソフィと叱咤し、鼓舞するところは好きです。
あそこの女性陣の強さ、潔さにはスカッとする。
梅田彩佳さん、小柄なのにとてもエネルギッシュ。

エリザベートが星なら、コージマは太陽ですね。ギラギラと輝き、熱い光でワーグナーを掻き立てる。
彼女の存在がなかったら、ここまでワーグナーが評価されることもなかったかもしれないな、とも思います。生命力に溢れたミューズ。

愛と憎しみの狭間で

『スワンキング』の中で、わたしが最も感情移入したのがビューローです。
リストの愛弟子で、その縁でコージマと結婚した音楽家。彼も最初はワーグナーの良き理解者であり、支援者でした。
ワーグナーの作品世界を愛し、深く理解することで上演困難と言われた『トリスタンとイゾルデ』の指揮を成功させ、称賛されることとなったのです。

けれど、輝かしい成果をおさめたように見えたその影で彼は、妻とワーグナーとの秘めた関係に苦しみ続けていたのです。
コージマが3人目を懐妊したと知った時、それが自分の子ではないとわかってしまったビューロー。
ルートヴィヒ2世ワーグナーが掲げる夢の実現のためには、この秘密は墓まで持っていくしかないと、共犯者であることを覚悟します。

でも、さすがにそこから更に2人、子供が増えると思わないですよね?
その上、わたしがいないとワーグナーはダメなの!って妻がミュンヘンを飛び出しちゃうとは思わないですよね?
せっかく守り抜こうと決めたビューローの男気、踏みにじられすぎですよね?
ルートヴィヒ2世に「もう無理です……」って暴露しちゃってもそれは仕方ないとわたしは思いますよ……周りはきっと、気づいていたのだろうし。

それなのに、ワーグナーバイエルンに戻すためにコージマとの離婚を承諾するビューロー。
自分にはない才能を持つワーグナーへの嫉妬と、尽きない憧れと。
一度は人生を共にしようと思ったコージマへの未練と、気遣う愛と。
すべてを振り切るようにして去っていく姿にぐっと来ました。

渡辺大輔さんのビューロー、男らしくも優しく、包容力を感じさせながらも深い苦悩が伝わってきて。
指揮棒を振る姿も、歌声も、素敵でした。特に、「僕にしかできない」というフレーズに残る余韻が好きです。

守るべきものが増えて

わたしが『スワンキング』を見るきっかけになったのが、ヨハン・ルッツ役の牧田哲也さんの存在です。
『舞台『刀剣乱舞』无伝 夕紅の士 -大坂夏の陣-』をきっかけに、『スタンディングオベーション』『恋人としては無理』と彼の出演舞台を追いかけて来たのです。
昨年、開設されたファンクラブにも入会しました。

もはや推しと呼んでもよいのではないでしょうか。
――余談ですが、友人に「そろそろ、推していることを認めようと思う」と話したところ、「もうとっくに推していると思ってた」と言われました。沼落ちしていることに気づいていなかったのは本人のみだった……ってコト!?

閑話休題
そんなこんなで情報解禁されてからずっと、牧田さんの『スワンキング』への取り組みも見守ってきた次第であります。
稽古開始前からボイストレーニングに通い、発声について思いを巡らせていた牧田さん。ひとつひとつの課題に真摯に取り組み、ステップアップを目指していらしたのです。

その努力が、見事に花開いたなあと感じました。
歌唱パートはそれほど多くないものの、伸びやかに歌い上げる姿は日々楽しそうで。
第一幕冒頭のルッツは表情からダンスから何から、無邪気でとってもかわいらしいのです。

しかし、ルートヴィヒ2世に重用され、役職が上がっていくごとにルッツは変わっていきました。
他の登場人物がそれほど変化を感じさせない中、ルッツは初期装備→メガネ→メガネ+ヒゲ、と3パターンのバリエーションを持っています。
そして、その変化は外見だけではありません。

「何より、官僚の既得権益の確保を」と言うプフォルテンに「えっ?」って少し驚いたり、「これからのことは全てルッツに任せる!」とルートヴィヒ2世に言われて「ええ〜〜……」とぼやいたり、官僚トリオの中で一人ほんわかしていたように見えていたルッツ。そんな彼が法務局へと進み、出世ルートに乗る頃には、シビアな一政治家としての側面を見せるようになっていたのです。
戦争を嫌厭し、出兵を渋るルートヴィヒ2世に対し、民衆はその姿を一体どう思うか……と静かに突きつける姿には、ゾクゾクしちゃいました。

牧田さん、声が良いんですよね。静かな口調なのに響く。言外の意図を滲ませるのも上手。
借金があっても城も作るしワーグナーにも支援する!と欲張りいっぱい夢いっぱいなルートヴィヒ2世に「はぁ?」と呆れ、彼を廃位に追い込もうと画策するシーンも最高に悪くて良かった(褒めてます)。
自己保身を考えるルイトポルト叔父様の思いにつけこみつつ、国の存続のために王をも障害として取り除こうとする冷酷さ。
宰相としての立場だけではなく、バイエルンという国とその民を守るためには、ルッツこそが決断しなくてはならなかったのでしょう。

「王は変わってしまわれた」と歌うルッツ。
その言葉に(だから仕方ないでしょう?)という、どこか言い訳じみた響きを感じたのは、わたしだけでしょうか。彼の中にも多少の後ろめたさはあったのでは?と思わずにはいられないのです。どこかにまだ、あの無邪気でかわいらしかったルッツが残っていて欲しかったから。
ルッツに対して、ルイトポルトが「変わったのは我々だ」と受けるのも良かったです。

そう、ルートヴィヒ2世はどんなに月日を重ねても変わってはいなかったのです。
ただ、夢を見ていただけ……。

「if」を思う

ルートヴィヒ2世ワーグナーとともに見た夢は、結果として悲劇として終わります。
音楽を愛する同志だと思っていたソフィとの婚約は周囲の干渉によって解消され、ワーグナーの音楽でドイツを統一するという夢は破れ、ワーグナーには先立たれ、周囲の人間たちも次々に離れていき。
残ったのは多額の借金と、未完成の城だけ。

ついには、精神病の烙印を押され幽閉されることに。
もう、こんな世界には未練はない。理想の音楽世界が広がる夢の王国へ行くのだと、旅立って行くルートヴィヒ2世
翼をもがれた白鳥王は、冷たい湖へと沈んでいきました。

ただ、ひたすらに純粋で、ひたすらに不器用だった王の生き様が悲しすぎて。
最後に行った東京公演前楽では、ラストシーンで胸に熱いものがこみ上げてきました。

彼らの世界に、戦争がなかったなら。
それならばもう少し、結末は優しいものになったのではないかと「if」に思いを馳せずにはいられません。

そしていま、この世界から戦争が消えたなら。
戦火に焼かれる建物も、破壊された飛行機の翼も、泣き叫ぶ子供たちの声も、道に転がる数々の遺体も、鳴り響く空襲警報も。
すべてがなかったものとして、平穏な日常を送れたはずなのに、と。

音楽で世界を統一することは一見、夢見事のように思えます。
けれど、現代を生きるわたしたちはこの先、どうやって侵略と略奪と、破壊とを防いでいけば良いのでしょう?
戦争が他人ごとではなくなってきたいまだからこそ、この作品が上演されることに意味があるように感じました。

東京公演が終わったばかりではありますが、再演・再々演と長きにわたって上演され続けることを願います。

余談

衣装にも注目

素晴らしい音楽とハーモニーに酔いしれることのできる本作ですが、それぞれの衣装もすごいのです。
前田文子さんが手掛けた、豊かなバリエーションと、リンクする意匠。布を贅沢に使った、19世紀の社交界ファッション。

それぞれのキャラクターを意識したであろう色とりどりのドレスが華やかで。
細いウエストからふんわりと広がるエレガントなシルエット。

男性陣の軍服やフロックコートもそれぞれ少しずつ違うのです。
どれも足の長さや腰の高さを引き立てる、洗練された仕立て。

そして、ルートヴィヒ2世のマントがとにかくすごい。
引きずる長さのたっぷりとした裾。白の上下に映える鮮やかな赤と、贅沢な金糸の刺繍。
なんと、制作時間は100時間超!
橋本良亮のマントに“100時間”刺しゅう 初主演ミュージカルビジュアル公開 | マイナビニュース

こういう贅沢な衣装、大好きなんです。
ぜひ近くで眺めたい。衣装展があったらぜひ行きたい。

予習の成果

世界史に明るくなかったので、ルートヴィヒ2世と当時のドイツ情勢、そしてワーグナーとの確執についてある程度予習をして臨みました。
もちろん、史実を知らない人でも楽しめるように構成されてはいるのですが、合間合間で「ああ、このとき実は」と思いを馳せる余白を感じられたのが個人的には良かったと思います。
ルートヴィヒ2世の恋愛観についての描写はほぼ省かれていたので、そのあたりが特に。

たとえば、婚約者ソフィの申し出を断り、パリ万博に行くと告げるルートヴィヒ2世と、そこに付き従うホルニヒの表情。深読みがすぎるかもしれないけれど、わたしにはホルニヒが少し勝ち誇ったような、それでいて困惑したような笑みを浮かべていたように見えました。
また、ルートヴィヒ2世が幽閉された際に、グッデンが周囲の証言を参考に診断したと告げたシーン。あそこで、最後にホルニヒの名前を挙げるのが狡猾だな、と感じました。いっときは誰よりも寵愛した青年が自分を裏切るとは、ときっと驚いたことでしょう。ただでさえ疲弊していた王の心を折るには十分な衝撃だったんじゃないかな、と思います。

そして、男女の性愛や肉欲に対しての嫌悪感が根底にあったからこそ、ワーグナーとコージマの不倫も許しがたい裏切りに感じたのはないでしょうか。
ルートヴィヒ2世が真に求めていたのは、恋や愛ではなく、清らかな魂の結びつきだったように思うので。

コージマの心情についてはまだまだ理解が足りないのを自覚しているので、次はコージマについて書かれた資料を読んでいきたいな、と思っています。

7月からは大阪を皮切りに地方公演が始まります。
どうか最後まで無事に、開演されることを祈るばかりです。