ゆみはりの

弓張の月にはずれて見し影の やさしかりしはいつか忘れん

オタクにできることはまだあるかい/ミュージカル『スワンキング』から考察する令和の推し活

祝『スワンキング』完走!!!!!
いくつかの演目がコロナ禍で休演となる中、福岡公演大千穐楽まで無事に上演されたことを、非常に嬉しく思います。
あまりに切実すぎて、神社まで完走をお願いしに行きました。お礼参りに行かねばですね。

というわけで前回の記事からだいぶ間が空いてしまいましたが、予告通り「ミュージカル『スワンキング』から考察する令和の推し活」について綴っていきたいと思います。
※こちらはあくまでわたし個人の一意見であり、どなたかに強要するものではないことを予めご承知おきください。

ルートヴィヒ2世から学ぶ推し活

推しとは適度な距離を保とう

これを初めに言ってしまうと身も蓋もなくなってしまうんですが、ルートヴィヒ2世の推し活において一番の問題はワーグナーとの距離が近すぎたことだと思うのです。
もちろん、あの時代の音楽家パトロンの存在は不可欠です。特に、ワーグナーのように音楽の才能以外は人としてアレな人間には、生活のすべてを保証するパトロンがいなくては偉大な作品の数々は世に出てこなかったと思います。

ただ、アレな人間を許容するには、あまりにもルートヴィヒ2世は潔癖が過ぎたのではないかと思います。
男女の性愛に対しての寛容度が狭い彼は、モラルよりパッションを優先させるワーグナーとは相性が悪すぎる。
さらには、民衆や議会からワーグナーに対する批判が噴出した時に、はねのけるだけの気概も納得させるだけの力もなかった故に、関係悪化の一途をたどるしかなかった。

「推しぴの才能を推してるだけだもん、プラベのことはどうでもいいもん!」と言いつつも炎上を許せずにブチ切れるくらいなら、もう少し推しとの距離を見直した方が良いのかもしれません。


しかしながら、「つまらないことで炎上しないでほしい」という気持ちも非常に理解できます。仕事に影響するほどの素行の悪さ・言動の危うさ・不安定な人間関係etc.は、リスク管理がなっていないことの表れだと思うので。
令和では本人の資質はもちろんのこと、炎上を回避するマネジメントも同時に必要とされるのではないかと思います。
個人的には、推される側の人たちにはコンプライアンス研修を受けてほしいと常々考えております。過去の炎上に学ぼう。

他人と自分の推し活を比べるのはやめよう

ルートヴィヒ2世の場合、よりによって相手がコージマというのが闇落ちに拍車をかけていたのではないかと思います。
知り合った当初はワーグナーを共に支える同志として、そしてどこか母性を覚える親愛の対象として見ていたコージマが、聖なるカルテットを汚したことに関する怒りは並々ならぬものがあったのではないでしょうか。

同担かつ、向こうは家族ぐるみの付き合いまであって自分よりオタク歴が長い。
そんな相手が推しの子供を妊娠していたことがわかったらそれはショック過ぎます。

ただ、一度立ち止まって考えてみることも大切です。

ワーグナーがコージマに惹かれたことに、ルートヴィヒ2世の推し活は関係ありましたか?
そして、あなたの推しぴが同担と繋がったとして、それにあなたの推し活は関係ありますか?
そもそもの話、自分のオタクと繋がるなって話ではあるのですが、コージマの場合はオタクである前に友人(リスト)の娘なので……いや、友人の娘に手を出す方が倫理的にやばいのは確かなんですけども。


推しとオタクとの関係はそれぞれ独立したものと考えた方が楽かな、と思います。
「推し↔同担」と、「推し↔自分」は干渉しあわない。
そして、自分一人では推しを支えることはできないのです。
国家予算を使って推し活してたルートヴィヒ2世ですら無理だったんですから!

自分が推す目的にもよりますが、わたしは「推しが活躍しているところがたくさん見たい=推しが活躍する機会に恵まれてほしい」が一番に来るので、同担はそれぞれで推しを支えてくれる存在だと思っています。オタクの数は多ければ多い方がいい。

しかし主義が違っても、わかりあえなくても、それでもいい。
わたしは森で、あなたはタタラ場で推そう。共に推そう。

自分のキャパシティを知ろう

いやほんとこれ大事。
お金と時間と健康は有限なのです。どこかで無理をしすぎたら、長く推し活をすることはできない。

ルートヴィヒ2世の場合は圧倒的にお金ですね!
戦争とインフレで国力の回復が遅れている中で、欲望のままに推し活を満喫していたら限界はあっという間。
銀行を襲え!ってやばすぎるでしょ。
キャパオーバーしたら判断力も鈍ります。重要な決断は、メンタルに余裕があるうちにしましょう。

一般人の我々ならなおのこと、借金してまで推しちゃダメ。睡眠時間削るのもダメ。体力気力が赤ゲージ突入したら休まなきゃダメ。
諌めてくれるルッツもいないので、推し活は計画的に。
ここまでぶっこんだんだから止めたらもったいない?
いえいえ、戦略的撤退も、時には大切です。ぜひ、ベターな選択を。

とはいえ、わたしも欲望と勢いのままにチケットを増やしたり、遠征を計画したりするので気をつけます。
「がんばれ来月の自分!」はほどほどに。

病んだら一度離れたところから見てみよう

推していて、病むことって誰にでもあると思います。いつもハッピーで満足の行く推し活ができるわけではない。
だから、しんどいな、って思ったらそこから距離を置くことも大切だと思うんです。

その上で、自分が病む要素ってどんなことだろう?って少しずつ分析していけるといいですよね。
原因が自分にあるのか、推しにあるのか、はたまた両方か。
夢中になっている時には気づかないあれやこれやを落ち着いて考えていくことで、解決策が見つかるかもしれない。
でも、いま考えてもどうしようもない!って時にはいったん「いまは考えない箱」に入れてしまうこともひとつの選択肢かな、と。

ルートヴィヒ2世の場合、ワーグナーのことと並行してバイエルンの行く末を考えなければならなかったのが、病みを加速させたのではないかと思います。
腹を割って相談できる相手がいれば、きっと違ったのでしょうが。

そうそう、価値観が似ている他担の友達って必要だと思うんですよ。同担との関わりでは見えないこともある。「いや、その運営おかしいから」「推しさんのその発言はちょっと」という風に冷静に指摘してくれる友達がいると、こちらもハッと気づくことがあります。
それと同時に、指摘を素直に聞ける自分自身の心の余裕も必要ですね。
完全に病む前に立ち止まれるかが、長く楽しく推し活を続けられるコツの一つなのかもしれません。

推し活について本気出して考えてみた

夢を叶えるために

『スワンキング』についてもう少し。
公演前から演者からも、観客からも、「ぜひ再演を」という声が頻繁に上がっていました。
わたしもぜひ再演して欲しいなと思っている一人です。特に、東京公演→地方公演からの、東京凱旋公演が欲しい。

しかしながら、なかなか厳しい状況かもしれないな、と察さざるを得ない状況ではありました。
というのも公演直前に決定するアフターイベントの多さ。
おそらくは、チケット販促のためだったのではないかと思います。一般発売後しばらく経ってもなかなか△(残席少)にならなかったので……。

運営側としてはチケットの残席数が多いところにイベントを組んで、空席を減らしたい。
というわけで一般的に、平日公演や地方公演にアフターイベントが企画されることが多いのです。
そして、チケット発売前に告知してくれる良心的な運営ならいいのですが、売れ行きを見ながら追加してくる運営も珍しくはないのです。


『スワンキング』の場合、1000席以上の大きな会場ばかりだったので埋めるのも難しかったとは思います。
日本発のオリジナルミュージカル、それも初演。評判を聞いてからチケットを購入するには、ちょっと厳しい日程(せめて東京は土日を2回挟んで欲しかった)。
さまざまな要素が絡み合って、毎公演即完売、というわけにはいかなかった。そこが歯がゆく思いました。

1枚でも多くチケットが売れていれば、夢が叶う日も近づくでしょう。
数は力です。
力が足りないと、夢は叶わない。

推しと自分の夢を叶えるには、座席を埋めることも大切なのです。
迷ったらまず行くしかない。

すべての運営に望むこと

推しは推せる時に推せ、とよく言われますが、前述のように力が必要な時に全力を出すことも、後悔のない推し活には必要なのかな、と思います。
思いますが。

個人的に、後出しイベントはあまり好きではないです。
もちろん、「じゃあ行こうかな」「じゃあチケット追加しようかな」と思う人もいるでしょう。
しかし、すでにFC先行など早い段階でチケットを抑えて、自分が行ける日程で予定を組んでいた強火なファンにとってはメリットが少ないんですよね。
自分が持っているチケットの日程でたまたまイベントが行われるならラッキー!で済むんですけど、すでに有給を申請して、行き帰りの交通手段や宿を抑えていたらなかなか追加でチケットを購入するのは難しいのではないかと思います。新幹線の時間があるからアフトは泣く泣く諦めて退席、という可能性もある。

同様に、後出しのリピチケ特典も好きではないです。
行ける日程にすでに全部ぶっこんでいる人間が浮かばれない。
友人知人に「頼む、自分の代わりに席を埋めてくれ……!」とお願いするのも、コロナ禍では躊躇します。

単発の公演なら良いのですが、続編・続々編とシリーズ展開していく作品の場合、「どうせ平日にイベントやるだろうから」「リピチケ特典があるだろうから」と先行発売のチケットを買い控える傾向になる一因にもなります。
初動が大事なのに、買えない。売れない。
誰も幸せになれない。

必要なこととは理解はできても、諸手を挙げて歓迎することはできないんです。


難しいかとは思うけれど、できるだけ事前に根回しして、この日程でイベントやります!って告知してほしいと常々考えています。
せめて一ヶ月半前には告知してほしい。
そうしたら、死ぬ気でスケジュール調整するから。
全運営、オタクが暇だと思っているのでは??というくらい直前で告知されるの、しんどいです。

そして、オタクの財布をあてにしすぎないでほしいです。
アフターイベントに行きたい強火勢がすでにチケット複数枚抑えていることなどわかっているのではないでしょうか?
そこから更に追加しろと?できるならしますけど??(するんだ)(チョロい)

さらに願わくば、S席とA席とB席の範囲と金額とを見直してほしいです。
S席の範囲が広すぎる公演が、多すぎる。高い金額を出しても前方席で見たい人と、気軽な料金でまずは公演を見たい人とのニーズを考えて設定していただければと思います。
リセール制度もどんどん導入して!(うちわ)

先ほども少し触れましたが、コロナ禍の観劇はただでさえハードルが高いと思います。
流行が拡大して来たら地方に遠征するのは控えたいし、万が一自分が感染したり、濃厚接触者になった時に泣く泣く観劇を諦める可能性もあります。
一時期は払い戻しに対応していた運営もありましたが、今はもう減ってきていますよね。1席空けもなくなり、その時に値上がりしたチケット代金は据え置きのまま。
大なり小なりリスクを負って、そして決して少なくない金額を支払って会場に足を運ぶオタクに対してもっと優しくしてください……。

言うだけならタダなので、思いつくままに並べてみました。
届けこの思い!!

オタクにできること

推し活は、自分の楽しみのために行うことが大前提として。
いくら推したくても、推す機会(現場)がなければ推し活は難しい。
芸能活動は慈善事業ではないので、オタクの愛だけで推しは生きていけません。
推しには仕事の場で活躍していただく必要がある。

というわけで、推しと自分のためにオタクとしてできることについて考えていきたいと思います。


まずは、「数」として参加すること。
CDを買う、グッズを買う、ファンクラブに入る、現場に行く。
「この人は数字を持っている」と客観的に示す指標はやはり売上です。

さらに、動画配信やサブスクに参加されている推しなら、再生数を回すこともまた、「数」ですね。
事務所にファンレターを送るのも、「数」です。推しに愛を伝えられる手段でもあるし、オタクがどんなことを考えて応援しているかや、どんなことを今後望んでいるかが本人や事務所に伝わるかもしれません。
そう、3つのいいことがありますね!(コージマリスペクト)

舞台やイベントの場合は公演後にアンケートを実施していることも多いので、わたしは欠かさず回答しています。推しをまた起用してほしいという要望を運営に伝えるのって、大事です。
※『スワンキング』はアンケートの類いがなく、お問い合わせ先も公式サイトに記載されていないのですが、このパッションはどこに伝えたらいいのでしょう?


そして、SNSもまた、「数」を示せる場です。
フォロー、リツイート、いいね、リプライ(コメント)。
本人や公式が発信しているものに対して反応する。

それだけではなく、検索に引っかかるようにつぶやくことも、「数」として認識されることがあるかと思います。
公演の感想には公式が使っているハッシュタグを使い、推しの名前はフルネームや正式名称で表記し、多くの関係者に目を留めてもらうチャンスを増やす。目指せトレンド入り。

ちなみにわたしは時折Twitterで、推しの名前や公演名で検索します。どれだけの熱量を持って受け止められているかがリアルタイムで伝わってくるからです。
引く方もいるかもしれませんが、伏せ字や略称でもパブサすることがあります。
共感するツイートにはいいねをすることもあるので、「どうやってみつけたの!?」と怖がられている可能性も否めません。
……こわくないですよ?


最初の方で述べた通り、お金も時間もメンタルもそれぞれのキャパがあります。
気軽に現場に足を運ぶことをためらうご時世でもあります。
だから、どんなことも、自分のできる範囲で参加することが大切だと思います。

推し活は、自分ありきの趣味だとわたしは考えています。
誰かに認められるためでもなく、誰かに勝つためでもなく。
ひたすらに自分と推しとの間に浮かぶ「夢」のために行うものでありたいです。

わたしにとっては、推しの活躍と、幸せとがオタクとしての夢です。
その夢を叶え、夢を夢でなくすために、楽しく健康に推し活に励めたらと思っています。

夢の王国への入り口は、きっと、その先にあるはずだから。

夢は美しく切なく輝く/ミュージカル『スワンキング』愛知公演感想

東京公演の感想はこちら。
yumiharino.hateblo.jp

公演感想

※今回もネタバレを含む内容になります。ご注意ください。

会場の良さ

刈谷市総合文化センター、ペデストリアンデッキ直通で駅からのアクセスがまず最高。悪天候でも濡れずに行けるの、すごくありがたいです。
また、天井が高く、音の響きが良い。座席の段差がしっかりあり、見やすい。その上、椅子もふかふか。こういう快適な会場で腰を据えて観劇できるのは何よりの喜びです。しかも、地元民も足を運びやすいように駐車場料金が4時間無料。優しすぎてアイリスのオタクになってしまいそうでした。
公演を重ねていることもあるでしょうが、歌詞もとても聴き取りやすかったです。それだけで解像度が上がる。

鷹とかもめの意味

劇中、エリザベートは黒の衣装と白の衣装とで登場するのですが、白の衣装のエリザベートは実在する彼女ではなく、ルートヴィヒ2世の想像世界に住まう幻想のすがたなのです。それは最初からわかってはいたのですが、今回新たに気づいたことがありました。
白シシィは「私たち二人、まるで鷹とかもめのよう」と歌うのですが、わたしが読んだ文献ではエリザベートルートヴィヒ2世のことは「鷲」と呼んでいたはずなのです。そして王は彼女のことを「かもめ」と呼んでいた。だから、東京公演の感想では「鷲とかもめ」という表現を使いました。

しかし、さらに調べて見たところ二人の間に交わされた手紙の中で、ルートヴィヒ2世は「鷹」、エリザベートは「鳩」とそれぞれ署名していたと。
そこでようやく納得したのです。このシーンの主観はあくまでルートヴィヒ2世。彼から見える世界では「鷹(自分)とかもめ(シシィ)のよう」と歌うのが自然なことなんだと。
そこから白シシィとのやりとりが今までと少し違って見えるようになりました。

夢は何のために

ルッツに「ワーグナーの支援をしたいなら、築城は3つとも諦めてください」と現実を突きつけられ、沈むルートヴィヒ2世。そこに現れた白シシィが「あなたはなぜ国王として夢を持とうとしたの」と問う場面。
ここもまた、王から見た――否、王だけが見た世界なのでしょう。

その頃のルートヴィヒ2世にとっては、疎ましい現実世界はもはや不要なものに成り果てていたのです。王として期待される振る舞いは、自分の意に背くものでしかなかったのですから。
だからこそ、国の行く末など考えず、行けるところまで突っ走った。

城も作る、劇場も作る、ニーベルングの指環も4部作連続で上演する。ワーグナーの作品世界を世に広げていくために。
オットーが精神を病み、他に自分の後を継げる者がいないなら、ヴィッテルスバッハ家の存続など彼にとっては些末なこと。
それよりも情熱のままに夢を叶えることこそが、バイエルン国王になるべくして育った彼の使命だった。


あくまで、ルートヴィヒ2世の中では。


冷静に考えれば、ルッツブチ切れも止むなし、ですね。だいたいプロイセンドイツ統一しちゃった時点でバイエルンは国として揺らぎっぱなしなわけじゃないですか。
皇帝書簡のおかげでビスマルクから多少お金を引き出せたとはいえ、焼石に水状態だったはず。

むしろよくあのくらいで済んだなって思います。
実はルッツ、強靭な自制心と胃腸の持ち主だったのでは??

時系列から見るルッツの変化

ところで、ルッツってあのとき何歳くらいだったんだろう?とふと思ったので、今更ながら簡易的な年表にしてみました。
※詳細な月日が確認できない出来事もあったため、1月1日に年を取っている形式で計算しています。そのため、満年齢と相違がある場合があります。

スワンキング年表
スワンキング年表(簡易)

つまり、1826年12月4日生まれのルッツは初登場時37歳だったというわけです。わたしは30代前半くらいだと思っていました。
え、あんなににこにこ踊ってかわいい37歳いる!?と一瞬驚いたのですが、演じている牧田哲也さんが6月7日に38歳になったばかりなんですよ。
大丈夫、いますね。
かわいい37歳(38歳も)は実在しています。

ワーグナーミュンヘン追放が招聘の翌年というのも改めて見るとスピード感がすごい。
即位が1864年3月、『トリスタンとイゾルデ』上演が1865年6月、追放が同年12月なのでふたりの完全なる蜜月は1年半と少しといったところでしょうか。
追記:ルートヴィヒ2世ワーグナーが初めて対面したのは1864年5月3日、ルッツが追放命令をワーグナーとコージマの前で読み上げたのが1865年12月6日とのことです。(出典:「ワーグナーの妻コジマ」ジョージ・R・マレック著・伊藤欣二訳/中央公論社

その間にルッツはルートヴィヒ2世に気に入られ重用されるも、プフォルテンらの画策で遠ざけられ、法務局から最高裁判所への出世コースに乗っていたわけです。そしてクールなメガネ男子へと変貌を遂げた、と。

推し活にお金を溶かし続けるルートヴィヒ2世に「はぁ!?」と心から呆れ、ガチ切れあそばしていた頃にはアラフィフ。おヒゲも伸ばしてナイスなメガネ紳士です。
そのまま首相へと駆け上がり、王の退位を口にする頃には還暦間近。いい枯れ具合です。

こうやって時系列を追っていくと、作中では描かれていない間のあれそれに思いを巡らせやすくなりました。
と同時に、年を重ねても変わらないルートヴィヒ2世のふわふわ感がより際立ちます。
ワーグナーの劇場に支援するならお城は全部諦めてくださいね!」「両方やるって言うなら民衆に見捨てられますよ!」と臣下に叱られ、「それは……いやだなぁ」とつぶやくアラサーの王様……。

いつかを望めば

しかしながら、実際に劇場で苦悩し、もがく姿を観ているとどうしてもルートヴィヒ2世には感情移入してしまうんです。彼の孤独もまた、伝わってくるから。
だから、「今回こそは夢が叶ってほしいな」という詮のない望みを抱いてしまう。往年のテニミュファンの皆様のように。

バイロイト祝祭劇場で上演される『ニーベルングの指環』4夜連続公演。鳴り止まない拍手と、誇らしさに満ちたカーテンコール。
それは、ルートヴィヒ2世だけではなく、彼の生涯を思い慕う我ら観客も共に見る「夢」なのかもしれません。
白鳥王が求め、焦がれ続けた世界が多くの人に理解され、祝福された瞬間なのですから。

それ故にこんなにもラストシーンに泣けてきてしまうんだろうな、と思いながら刈谷を後にしました。
素敵な夢を見せてくださったカンパニーに、改めて感謝いたします。

残り3公演、誰一人欠けることなく完走されることを祈っています。
これはルートヴィヒ2世を演じた橋本くんが愛知公演千秋楽で語った夢でもあります。
今こそ、国王の夢が叶えられますように。


行こうか迷っている方はぜひ、福岡へ。
夢が夢でなくなる瞬間を見届けてください。

次回予告

本エントリの最後に綴る予定だったお話を、独立させてひとつの記事とします。
その名も、「ミュージカル『スワンキング』から考察する令和の推し活」です。
「推し活」における、オタクと運営の双方のスタンスについて考えていくつもりです。
近日中に公開する予定なので、よかったらこちらもご一読いただければ幸いです。